SideB Again

湖畔の博物館へ、もう一度
Vol.1 「変わりゆくもの、変わらないもの」 Page5

 

 と、話はまた横道に逸れたが、事務室やメディアラボで何人かの人と挨拶したあとは、館内を見て回ることにした。A展示室からB、C、そして水族展示室と一通り見て回る。東京へ居を移してからも琵琶湖博物館には1〜2度来たことがあるが、館内を一通り回ったのは久しぶりである。琵琶湖博物館に仕事で携わることがなくなってからは初めてだったかも知れない。

 館内では旧知の展示交流員の人たちとも、ご挨拶してみたり。彼女らの仕事の手を止めさせながら懐かしい話などをしてしまったりで、少々申し訳なかったかも。展示交流員の人たちもここ1〜2年でかなり変わっており、知る人はもはや3分の1くらいになっている。特に若い子たちは本当に少なくなってしまったな。

 辞めた人たちは今どうしているんだろうか、なんて思ったりもする。そう言えば、この展示交流員という仕事場で付き合い始め、結婚した二人もいたな...この琵琶湖博物館で結婚式をあげた二人は、今どうしているのだろうか...そんなことも思い出したりしつつ、まだ知る人がいることにホッとしてみたりもする。

 館内を一通り見てまわった後、館内で唯一タバコを吸える場所−それは琵琶湖博物館の仕事で知り合った、今は亡き友人との思い出の場所−で休んでいると、閉館時間となった。

琵琶湖博物館2階より北側に広がる琵琶湖を望む

琵琶湖博物館からの変わらぬ風景。晴れた日には琵琶湖と
琵琶湖大橋の向こうに見える比叡〜比良山系が美しい。
(琵琶湖博物館2階カフェテリア前からC展示室への連絡通路上にて)

 外へ出るとまだ暑く、比叡山の上にある西日が湖面を盛んに照らしていた。東のほうでは大きな入道雲が育っていて、雷の音だけをゴロゴロと鳴らしていた。

 夏の夕暮れ。琵琶湖の夏の夕暮れ。

 博物館から烏丸半島の先にある大きな広場へ出て、懐かしい景色を再度心に焼き付け、それから車へ戻る。湖岸道路を南に戻り、しばし矢橋帰帆島の湖畔のパーキングに車を停め、再び琵琶湖の夕暮れを眺める。

 琵琶湖博物館は何も変わってなかった。展示物も何もかも。私が携わったものも、あれから数年経つのにほとんどそのままだった。何を変えようということも、きっとないのではないか。そう思われるくらい、全てそのままだった。良くも悪くも。

 いや良くはない、と思う。私が琵琶湖博物館と関わりを持たなくなってから、たまに琵琶湖博物館へ赴くたび感じるのは、開館してまだ5年の琵琶湖博物館が、もう既に夕暮れを迎えているような、そんな印象を受けてしまうことだ。理由は色々あるだろう。様々な事情も聞く。その理由に納得できることは少なくない。

 けれど、それではどこかつまらなく、どこか哀しく、どこか寂しい。博物館というものはそうそう変わるものじゃないのも分かっているが、その変化のなさは何やら後ろ向きの変化のなさのように見えて、どうしようもなく辛く思うことがある。大好きだったところだから。

 知る人が少なくなるなど人の移り変わりを見るにつけ、時の流れを感じるが、決してそれが寂しいとは思わない。それが自然であるから。けれど、時が止まったような状況には寂しさを感じてしまう。できれば時が止まることのない前進をして欲しいものだけに。

 そこにあるのは、私にとって思い出だけであり、懐かしさだけであることを実感するとともに、来るたびにその思い出が色褪せていくことに寂しさを禁じえない。

 来ないことよりも来ることで色褪せる思い出の辛さ。

 かといって、人ひとりの力で変わることもなければ、ましてや部外者の私がどうのこうのできるわけでもない。できるのは思い出に浸ることだけかもしれない。何ができるとも思っていないが、寂しさを目の当たりにして何かせずにはいられなくなる。それがたとえ自己満足のためだけでも...

 かの頃、「琵琶湖博物館 Side-B」 なる follower's Website を作って、大好きだった琵琶湖博物館を少しでも多くの人に知ってもらおう、魅力を知ってもらおうとしていた頃を思い出した。ゆえあって、心残りがあるままにクローズした、そのウェブサイトを思い出した。

 「Side-B」 を復活させてもいいかな?なんとなくそう思い始めたのは、その時だった。

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